アメリカのマインドフルネス心理療法

認知療法の理論とクライアントの変化の事実が乖離している

 =実際治る患者をみると従来の認知療法の理論では説明がつかない
 =治るのは、認知の修正によるのではない
 =認知療法の理論に弱点が

 3章を理解するのに、「脱中心化」ということが必要になる。これは、従来の認知療法の理論を修正することである。
 日本では、ようやく、認知療法に関心が深まった段階である。アメリカでは、もう、その認知療法の理論に修正が必要であるとされ、その先にすすんでいるというのに。
 「世界行動療法認知療法会議(WCBCT)がはじめてアジアで、しかも日本の神戸で開催され、世界最先端の知識と技法が多数の参加者に披瀝された(*1)。
 「ワークショップの内容は、認知行動療法家が科学者であると同時に実践家であることを明示するものであった。また、WCBCTが日本で開催されたことで日本でも認知行動療法に対する関心が高まった。」(*2)
 こうして、日本では、日本では関心が高まった段階で、欧米よりは、はるかに遅れていて、認知行動療法を行うカウンセラーは多くはない。そんな段階であるのに、早くも、アメリカでは、認知行動療法の理論に疑義も出されてきた。そういうことがわかるのも、理論家と実践家が同一人だからであろう。  アメリカでは、認知行動療法の研究者と実践者が同じであると、その臨床場面のクライエントを観察していて、理論と実際が違うようであると気がついてきた。
 認知療法は、確かに、うつ病を治す効果があるが、従来、その理由として、その治療的介入が「認知内容そのもの」を変化させるからだという理論づけがされてきた。だが、違うのではないかという主張が出てきた。
 認知療法は、効果はあるが、理論づけが異なるというのである。そうだとすれば、セラピストがクライエントに指導する際に、その指導の言葉が違ってくる。ことは、重大なので、これをみておく。
 認知療法で、心の病気が治るのは、「認知内容そのもの」の変化によるのではなくて、「メタ認知」の変化によるのではないかと思われるようになった。前者ならば、治療者は、クライエントの「病気を維持する固定観念」を議論、説得して修正させようとする。後者は、必ずしも、特定の固定観念を変えようとする技法は用いず、「認知のしかた」を変えようとする技法を用いることになる。

「認知内容そのもの」ではなく「認知と感情などの関係」が変わる

 認知療法の理論を修正するもので、本書が紹介している新しい認知行動療法の理論が実際のクライエントに生じている変化をよく説明するようである。本書3章のマインドフルネス認知療法は、従来の認知療法の理論ではなくて、その修正を必要としている。
 そうだとすると、セラピストが、クライエントの考えを聞き出して、固定観念を自覚させてそれを論駁して変えようとする方針は、ずれていることになる。場合によっては、クライエントが、セラピストの意向とはずれて、適切に修正して受け取ることによって、治癒するという皮肉な結果で、治る。それでは、セラピストのいうとおりに、固定観念そのものを変えようと努力するクライエントは、治り難いという、これも、皮肉な結果となる。
 うつ病が治るのは、「認知内容そのもの」の変化によるのではなくて、新しい理論が考えられている。「脱中心化」が鍵である。  こうしたとらえかたは、禅で、思想的には「すべては「空」(くう)」というのに通じるし、「何事にも執着せずに受け流してみなさい」という実践指導につながる。すなわち、「固定観念」だけではなく、感覚、思考、感情、衝動、情動性の身体反応、気分など、すべてである。  「脱中心化」は、一つのものに執着していることから離れることだろう。一つとは、思考、固定観念には限らない。感覚、思考、感情、衝動、身体反応、行為、何でもであろう。一歩、距離を置く。クライエントに指導する心のもちかたも「脱中心化」であるが、カウンセラーのカウンセリングの技法も、脱中心化と言える。一つのところだけをねらわない。認知から行動にいたる全体の関係、時には生きかた全体を視野にいれているようである。
 マインドフルネスは、「認知内容そのもの」の直接介入によらずに「うつ病」を治す。

自己洞察瞑想療法(SIMT)

 私どもの手法も、これと似ているようである。自殺念慮をもつクライエントがいると、「死にたいという考えを変えなさい」という説得は用いない。代わりに、自己洞察法を実践することをすすめる。「死にたい、という気持ちはおいておいて、呼吸法や自己洞察法を実行して自分の種々の精神作用を自覚してください。」と言って、その実行法を教える。ただし、寺で行なわれる坐禅とは異なる。多くの坐禅会は、なぜ、坐禅が効果があるのかを説明せずに、ただ坐禅しさない、というからわかりにくい。治りたいという患者には動機づけが働かない。心理療法では、うつ病の心理的メカニズムを説明して、自己の種々の作用の洞察法(坐禅に似ている)がうつ病の改善に効果があることを詳細に説明してから、その実践をすすめる。さらに、毎回のセッションで、心理教育を行う。毎回、「ただ実践しなさい」というわけではない。(そうすると、うつ病が治るメカニズムは、自己洞察法のみが起こすのか、心理教育併用が起こすのか、これは、患者が多い病院などで、2つのグループに分けて臨床試験を行ってみればわかるかもしれない。)
 自宅でも実行するように、いくつか課題を出す。次回にくると「まだ、時々、死にたいという気持ちがチラチラと出てきますが、呼吸に心を向けます。」という。さらに、面接でも、実習をして、課題を出す。次に面接にくると、笑顔をみせて、「自殺したいという気持ちがなくなりました。でも、気分の悪さは、変わりません。」という。これが、実際である。気分の悪さと自殺を結びつけなくなってくる。クライエントの心理に何が起きているのか、心理学では理論づけが確定していないのだろが、従来の認知療法の理論と介入方法とは明らかに違う。メタ認知、脱中心化の方が、現実の説明に近いように見える。西田哲学からいえば、作用の作用、「意志作用」の活性化であると見える。
 自殺念慮が消えたというのは、認知が変容した。だが、認知に直接介入はしないで、変容が起きた。自殺念慮が消えても、まだ、うつ病は完治していない。その後も、自己洞察法を中心としたカウンセリング技法が継続される。やはり、直接には、認知の変容をさせようとはしないでも、クライエントは完治する。なぜなのだろうか、そのメカニズムの解明、理論づけは、研究者の課題である。
 いずれにしても、こういう治癒にいたる、メカニズムが正確でないと、カウンセラーが効果のない技法をクライエントに行い、病気を遷延化させることになるだろう。
 また、この新しい認知理論は、電話や相談による自殺防止運動があるが、説得による自殺の一時的なひきとめには、限界があることを教えているのではないか。自殺防止運動の効果的な対策に影響するのではないか。日本でも、新しい療法の臨床研究が望まれる。


3章の執筆者は、Zindel V. Segal, John D. Teasdale, and J. Mark G. Williams