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アメリカの新しい心理療法(マインドフルネス心理療法)目次
アクセプタンス
アメリカでは、行動療法が第3世代にはいったといわれるが、そこには、瞑想が用いられるのが、特徴である。その瞑想は、マインドフルネスとアクセプタンスの要素がある。これらは、思想や理論ではなくて、心理的な「実践能力」や「行為への実現能力」である。
もう一つの「アクセプタンス」も、重要な実践であるので、詳細をみておく。
一般的な定義
「第一に、アクセプタンスとは、自分自身の個人的な体験に対するある種の応答として人が行う(または行わない)何らかの行為である。すなわち、我々が、思考、感覚、情動、覚醒の体験、願望や欲望など、個体内に生じる様々な刺激を受け入れる(または受け入れない)ことを意味する。ここでいう個人的な体験とは、当然、近刺激(proximal stimulus)に対して、それを受容したり、受容しなかったりする反応のことである。体験はそれ自体が、一つの、あるいは多様な先行刺激により引き起こされるが、それは個体内から発生する刺激に導かれる個人的体験と、個体外の刺激に導かれる公共的(public)体験のいずれかに分類できるのである。」(250頁)
変化を伴う・伴わないアクセプタンス
アクセプタンスには、2種ある。変化を伴うアクセプタンスと、変化を伴わないアクセプタンスである。
変化を伴わないアクセプタンス
何かの目標を達成するために、不快が存在しても、目標に近づくために、前向きに苦痛に耐えるのはアクセプタンスである。
「この様に、行動を我慢すること(積極的に変化させないこと)はアクセプタンスの一つの形態といえよう。」(250頁)
(たとえば、パニック障害、広場恐怖のある人が、電車に乗って、「不安・恐怖・はきけ」の不快感におそわれた時、おりてしまうという行動をとらずに、乗り続けているようなこと。)
不快なものから、目を他のものに転じるのも、不快の対象そのものを変化させることに努力しない、純粋なアクセプタンスである。
「不快の程度を変化させることが本質的な目標ではなく、むしろ、個人の価値観とより近い方法や、より目標を達成できそうな方法を実行することがねらいなのである。こうした目標に注意の焦点を移すことは、不快や不満な経験を変化させるかもしれないし、しないかもしれない。しかし、いずれにしても最終的にはより大きな満足を得ることにつながるのである。」(252頁)
(たとえば、重い「がん」であると宣告された人が、自分の病状や将来を思うと、不安であるが、そこだけを見ていると、抑うつとなり、質の高い人生を過ごす意欲がなくなり、免疫力をおとして病気も悪化する(精神腫瘍学の成果で判明)。こうした場合に、可能性ある治療は受けながらも、自分の価値観から家族と楽しい余生をすごす決意をして、家族と旅行する。旅行すれば、めずらしい風物に接して、病気であることの不満を変化させるかもしれない。
別の例では、配偶者のある欠点が、目について「それを治せ」と常に言うならば、相手は不満に思い、口論が絶えず、離婚になるかもしれない。離婚が「自分の願いなのか」をかえりみれば、そうではないのだとしたら、「その人に、こういう欠点があるけれども、これこれのいいところがあるから、もう「あそこを変えろ」ということはやめよう」と決意する。そうすると、多少の不満はあっても、離婚せず、相手のあるがままの人格を受け入れることで、愛情を持ち続けることができる。小さな不満を見つづけて不満を持続させて、大きな目標を破壊しては、本末顛倒である。)
変化を伴うアクセプタンス
「ただし、この時、(中略)それと並行して変化の可能性を探ったり、不快を最小限に抑える工夫を試みることは可能である。」(A)
「こうした工夫を行っても、ーー上位の(本来の)目標や欲求に従って行動を続ける限り、(その人は)苦痛を受け入れ続けることに変わりはない。このように、アクセプタンスは変化に対してエネルギーを注ぐことを否定するものではない。」(B)
「ただし、そのエネルギーが、本来の目標に向けた効果的な働きかけの維持を減退させる、あるいは阻止するものであってはいけない。」(C)(250頁)
(たとえば、上記の例において、不快感を感じた時に、腹式呼吸法を行ってみると、不快感がやわらぐことがその例である。それを行いつつ不快を受け入れつづける、そして、その試み(不快感がやわらぐ)が失敗したとしても、成功したとしても、電車はやがて目的地につく。逃げなかったという体験は大きく、パニック障害の治癒が近い。「エネルギーを注ぐことを否定するものではない」というのは、害にならない対策(この場合は腹式呼吸法)を否定しないという例がある。
(C)は、エネルギー、努力を、害になるようなことに注ぐのは、よくないということである。食べ物、アルコール、強迫行為、改善効果のない宗教的な行為、などは、依存症になるおそれがある。努力しても、問題解決にならず、目的を達成できない可能性もある。うつ病、不安障害の人が、種々の健康法や宗教実践を試みても、悪化することさえあるだろう。)
次のような、高度のアクセプタンスがある。
「状況に対する別の視点や、状況と不快さとの関係に気づくこと、苦痛を和らげる(あるいは全く苦痛を消し去る)ような新しい刺激を作り出すことも行われる。こうした種類のアクセプタンスには、苦痛をもたらす誘発刺激を、異なる応答をもたらすような別の刺激に変換する過程が含まれている。
」(250頁)
(たとえば、マインドフルネスを実践して、ストレス、感情などの関係を理解するとか、認知のゆがみに気付いて、不快感を変えることは、「状況に対する別の視点や、状況と不快さとの関係に気づくこと」の例だろう。「新しい刺激を作り出す」という例は、不快感を感じる時に、(害にならない)音楽や読書に心を向けるのが例であろう。食べ物やアルコールは、過食症、アルコール依存症などになるおそれがあるから、避ける。)
アクセプタンスの前提
「このようにアクセプタンスの前提として、いくつかの構成要素や定義に関わる特徴があげられる。それは、
(1)人は当該の現象を認識している、
(2)体験の質にかかわらず(快あるいは不快、当初から望んでいた、あるいはいない)、人は体験やそれを引き起こした刺激を変化させることばかりに集中しているのではない、
(3)人は(正確さや真実性にかかわらず)現在の個人的な体験と、それに先立ついくつかの刺激の関係性を理解している、
といった点である。
これらのことを前提に、アクセプタンスには2つのレベルが考えられる。それは、
(1)変化を伴うアクセプタンス、そして
(2)純粋なアクセプタンスである。
さらに尽瘁名アクセプタンスには、
単に耐えることから、
本質的アクセプタンス、あるいは
徹底的アクセプタンスまで幅があり、
そこでアクセプトされる体験も、ネガティブなものから、中性もしくはポジティブなものまで多様なのである。」 (253頁)
このように、アクセプタンスは、心の病気や対人関係の構築のまずさ、非行・犯罪の治療、予防、再発防止などに貢献するのであるが、アクセプタンスは、マインドフルネスの実践ができることが前提となる。アクセプタンスも、思想、理論の理解だけにとどまっていては、問題が現実に改善しない。認知療法も、発想はすぐれているのであるが、セラピストからクライエントへの説明だけでは、充分な認知の変容が起きない場合がある。また、固定観念は、無数にあるので、個別に固定観念を修正するという方針は、多様なクライエントの種々の人生上のストレス対処の心得としては、いま一つ十分な効果をあげることができなかった。日本でも、認知療法のカウンセラーがいるが、必ずしも、充分な改善効果をあげているわけではない。
特定の固定観念を変えるという戦略ではなくて、広く、あらゆるストレスを受容し、受け流し、解きには、建設的な方法で、ストレスを乗り越えるという、普遍的なストレス対処法として、マインドフルネス、アクセプタンスの実践(理解だけではない)が、種々の問題の改善に効果あるものとしてマエリカでは、研究がすすんでいる。
日本で、こういスキルを身につけるためには、ヴィパッサナー瞑想や坐禅を改良した心の訓練(「自己洞察法」)がある。
この記事は、アクセプタンスの一般的な定義をみたのであるが、個々の障害、問題に、最も効果ある方法への変更、最低必要な期間、などが、研究されている。一般的なマインドフルネス、アクセプタンスを基礎として、各障害に最も効果があるように、技法の多少の付加・変更、期間の選択、個別か集団か、などの試験研究がされている。そのようなバリエーションが、本書の第1章から13章まで、紹介される。
私どもも、アクセプタンス、マインドフルネスの性格を持つ「自己洞察瞑想療法」を、種々の適用方法を試行し続けている。たとえば、基本的な技法を基礎としつつも、うつ病(さらに、初回の発病と、再発を繰り返す人とでは違う)と、パニック障害、過食症、パーソナリティ障害などとを全く同じ技法を適用することはできない。それぞれの問題に応じて、最善の方法に変更、付加を加えることになる。
「マインドフルネス&アクセプタンス
ー認知行動療法の新次元ー」
編著=S.C.ヘイズ、V.M.フォレット、M.M.リネハン
監修=春木豊 監訳=武藤崇、伊藤義徳、杉浦義典
ブレーン出版、2005/9/10、3800円+税