『千羽鶴』に描かれた神経症

 川端康成は、『千羽鶴』で神経質の男、菊治を描いた。菊治は神経症(不安障害)気味の男だったが、太田夫人を自殺させ、その娘文子と関係を持った翌日から失踪された精神的ショックが尾をひいていて、一年半もたってから、ちか子と結婚したが、「性的不能」という神経症が発症した。これは精神的なこだわりから起こる一種の神経症である。
 川端の描く菊治の様子は、不安障害であることを見てみよう。

新婚の日

 菊治は、新婚の夜、妻ゆき子に触れることができなかった。川端は次のように描いて、菊治の不能をほのめかしている。川端は性的な描写は直接描かないでほのめかす作家である。

 「太田夫人や娘の文子には、自然で抵抗のなかったことを、なぜゆき子にはおそろしく異常なことと、菊治自身が感じたのだろう。良心の抵抗か、ゆき子への卑下か、あるいは太田夫人や文子が菊治をとらえているのか。栗本に言わせると、太田夫人は魔性の女だが、ちか子に今夜の部屋をきめられたらしいのも、菊治には薄気味悪いこだわりだった。」(『波千鳥』三)

 「そして不安と焦慮がやわらぐと、菊治はさびしくなった。ゆき子も不安と決心とでおびえていたのだろうが、菊治は揺り起して抱き直すことは出来そうになかった。」(同)

 菊治は、太田夫人を茶室で愛した夜、自殺されたことと、文子を茶室で愛した翌日文子に失踪されたつらい過去があった。新婚旅行で泊まったホテルの部屋に茶室があった。菊治は、ゆき子を愛しようとした時、突然過去の恐怖がよみがえり、それにとらわれてしまったのだ。菊治が神経質でヒポコンドリー性向であることは、連想を重ねるたちであること、しばしば不安にとらわれることで、描かれている。
 次は、発病前にもあった「予期不安」の傾向である。

 「水指をかかえての帰りみちに、昨日その花を文子の家にとどけさせたのと同じ花屋で、菊治は同じ花を買って来たのだった。しかしその後、水指にさわるだけでも、胸がどきどきするようで、菊治はもう花は活けなかった。」(『母の口紅』一)

二日目

 失敗したことを、強くこだわっている菊治の二日目の心を描いたのが次の文である。あまりに自分の心の動揺にとらわれると予期不安がおこるおそれがある。

 「ゆき子はどう思っているのだろう。陽(ひ)にかがやく顔にこだわりのないのは、菊治をいたわっているのだろうか。もしかすると、初めの夜は菊治にいたわられていたと感じているのかもしれない。菊治は落ちつかなかった。」(『波千鳥』三)

 次の文も、二日目の夜であるが、菊治が誤ったはからいをしている様子や連想にとらわれる様子が描かれている。

 「しかし、やがて闇の底で、菊治はふるえる目ぶたを閉じながら、あのとき、文子の手抗はなく、純潔そのものの抵抗があっただけなのを、思いだそうとしていた。卑劣で汚濁の悪あがきだ。文子の純潔をふみにじった妄想を力に、ゆき子の純潔をはずかしめようとする。いまわしい毒薬だが、ゆき子の清潔な所作が、菊治の苦しまぎれにしろ、文子の思いでを誘ったことは争えない。
 また、文子の思い出から、太田夫人の女の波が呼び返されるのは、菊治にとめられない。魔性の呪縛か、人間の自然か、いずれにしても、夫人は死に、文子は消え、しかも二人はただ愛して、憎しみはなかったとすると、今菊治をみじめにおびえさせているのはなんだろう。
 太田夫人の女の波に麻痺していたと悔いたものだが、かえって今は自分のなにかが麻痺していると、菊治は恐ろしかった。」
(『波千鳥』四)

 文子のことを自然に思い出すのではなくて、わざわざ思い出そうというのがはからいである。普段から、連想、妄想を重ねるたちだったから、この夜もそれがとまらず、それをサラサラと流せずこだわるから、ゆき子を愛することなどできない。連想する菊治のくせからおこる悲劇である。これをみれば、菊治が自分のあやまちを茶碗の美に重ねていた部分を、川端が「美に昇華している」という批評家の見方が誤りであることがわかる。新婚の妻ゆき子も憎しみはない。憎しみのない女性を愛して悲劇になったという誤った結びつけをして予期不安をおこすのである。

三日目

 「菊治は貫くようなかなしさにおそわれて、切れ切れに言った。「僕はね、不具じゃないよ。不具じゃない。しかしね、僕の汚辱と背徳の記憶、そいつが、まだ、僕をゆるさない。」ゆき子は気を失うように、菊治の胸へ重くなった。」(『波千鳥』五)

旅行から戻ってある日

 「「なにか話してちょうだいって、伊豆山でも言ったのおぼえてる?」
  「おぼえてないわ。」
  菊治は忘れることが出来ない。その時、闇の底で、ふるえる目ぶたを閉じながら、文子を思い出し、太 田夫人を思い出して、その妄想によって、ゆき子の純潔に向かう力が得られるかと、悪あがきをしたものだった。明日はゆき子の父が来るので、今夜が境にならないものかと、菊治はまた太田夫人の女の波を思い起してみたりしたが、なおゆき子の清らかな感じが増すだけだった。」
(『新家庭』四)

 新婚旅行から戻って、三月のある日であるが、菊治の苦悩が続いている。連想、比較、はからいがやまない。
 川端は現代人の苦悩である神経症を克明に描いたのである。こういう神経症は、薬では根本的治療にはならないといわれる。こころのからくり、とらわれによる、不安の感情を嫌う、予期不安を恐れるなどの誤った観念にとらわれることに基づくので、心を観察(思考するのではない)して如実に知る坐禅も神経症の治癒に有効である。
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